「魔の一週間」final

2023-6-17 sotomi 魔之一周

「おはよ~! さあ行くよ~!! 早く支度しなさ~いっ!!!」

翌日、俺は母親のけたたましいまでの元気な声で叩き起こされた。最近、怒濤の如く俺に降り注いでいた不幸のせいで完全に失念していたのだが、今日は一年に一回の大イベント「早起き! 親子マラソン大会!!」の日だったのだ。この、「早起き! 親子マラソン大会!!」というのは、参加希望者を募ってその名の通り親子が一緒に約五kmを走るというもので、どちらか片方だけゴール地点に着いてもそれはゴールとは認められず、二人一緒にゴールしてこそ本当のゴールという一風変わったルールが決められており、子供の方の年齢制限は小学生までで、大人の方は父、母どちらでも構わないという事になっていて、何の目的があって催されているのか分からないのだが、このマラソン大会が実は子供達にとっては自分の立場を決める重要なイベントなのだ。

というのも、この大会での優勝者にはトロフィーが授与される。優勝したペアの子供の方は、主催日が日曜日だと言う事もあり、地域全体のイベントということも相まって、翌日の月曜日には一躍小学校内で「時の人」になって、皆から羨望の眼差しで見られる。まさにヒーローなわけだ。だから子供達はまったくやる気の無い父や母を巻き込んで、この安っぽいトロフィー欲しさに遮二無二なって走る訳だ。

斯く言う俺もその一人で、毎年良い所までは行くのだが、やはり上学年には勝てない…。しかし今年は違う。俺がその上学年になったし、俺のリサーチによるといっこ上の六年生にはたいしたライバルが居ない。優勝出来る可能性が存分にあるのだ。そして何よりも、家の母親は走る事が唯一の取り柄というぐらい早い。毎年一番にゴール地点に到着して、俺を待っている。

俺は思った。まさに好機!! 最近の俺のイメージを払拭するのにはまたとない機会ではないか!! これで優勝すれば先週の不幸をひっくり返す事が出来る。いや、それだけじゃない。憎き先生達にもでかい顔が出来るぞ!!(今思えば何て安直な考えなんだ…)

俺は一気にヒートアップした。

ジャージに着替え、軽快に階段を下りて居間に行ってみると母親が朝ご飯を食べていた。

「さあ、一志も早く食べなさい。遅れるよ」

と言いながらムシャムシャと貪り食っている。

「俺はいいよ。体重くなるし…」

万全の体制で臨みたい俺はそう答えた。母は、

「あ、そう。じゃあお母さんお前の分も食べてあげる」

と言って二杯目のご飯を茶碗に盛っていた。思えば、ここが不幸の始まりだったのだ…。

会場に着いた俺はまずその人の多さにたまげた。年々多くなっているのは感づいていたのだが、今年は去年の倍位居るのではないか!? と思われるほどの盛況ぶりだ。少し不安にもなったのだが、逆にこの中で一番になればそれだけ自分の実力を誇示出来る。

「やったるぜっ!!」

俺の闘志はマックスまで昇りつめた。受付でゼッケンを貰い、少しでも有利になるように人垣をかき分けてスタート地点に着いた。そこで、役員が挨拶やら注意事項やらをメガホンで喋っている間に周りを見回すと、俺のクラスの奴らも沢山居た。ますますやる気が出た俺は母親に、俺の作戦を告げた。

「別々に走っていつも通りゴールで待っててっ!」

母親もやる気満々で、

「わかった。お母さんが多分一番に着くからゴールで待ってるよっ!」

と頼もしい事を言ってくれた。そうこうしているうちに、

 「それでは~、位置について~、よ~い、パンっ!!」

とスタートの銃声が鳴った。俺はその合図より少し早くフライングスタートを切った。まずは最初から飛ばすに限る。出遅れてしまうと途中途中追い抜いて行かなければならない人達が邪魔だからだ。俺は必死に走り続けた。まるで短距離走のように全力で走り続けた。周りには誰も居ない。独走状態だ。

「行けるっ!!」

足も痛くならないし、良い感じにペースを保てている。俺は走り出してすぐに優勝を確信した。振り向いてみると二位の人が大分後ろに見えた。益々やる気満々な俺はさらに飛ばす。そのうちに、中間地点と思われる所に旗を持って立っているお姉さんが、

 「早いね~。僕が一番だよ~。頑張って~」

と、間延びした声で迎えてくれた。そこでもう一度後ろを振り返る。やはり誰も居ない。優勝まで後半分だ。俺はそのまま誰にも抜かれずに突っ走った。ゴール地点に着くと、沢山の大人達が拍手を送ってくれた。「凄いな~。大人よりも早いじゃないか~。後は待つだけだね」

俺は肩で息を整えながら笑顔で答えた。顔を上げてみるとまだ後続の人達は誰も見えない。俺は心の中で叫んでいた。

「やった!! 優勝だ!! 後はお母さんを待つだけだ。早くっ!! 早く来てくれっ!!」

頭の中は既に明日の事で一杯になっていた。全校朝会でも紹介されるだろう。嫌な事ばかり続いたが最後の最後にどんでん返しだ。

「俺は英雄だ! ヒーローだ!! もはや神だ~!!!」

と馬鹿な妄想をしているうちに人影が見えた。大人と子供が前後して走っている。子供の方は誰だか分からないが、大人の方は間違いなく家の母親だろう。

「YESっ!!」

後は一緒にゴールするだけだ。俺はテープを切る準備をすべく前を向いた。

「タッタッタッタッ」

足音が徐々に近づいて来た。俺は感極まって泣きそうになっていたのだが、次の瞬間、全てが崩れ去った。その大人と子供は俺の横を擦り抜けてゴールしてしまったではないか。

「えっ!! 何で? お母さん??」

俺の頭の中は「?」で一杯になった。訳が分からず振り返ると、数十m先に脇腹を押さえながら走っている母親の姿が見えた。俺は茫然自失のまま母親と供にゴールした。うまく現実を受け入れられない俺は、傍らで腹を押さえてひ~ひ~言っている母親を見つめた。母親は、

「苦しい…お腹…苦しい…食べ過ぎた…ご飯…やっぱり…よ…四杯は…」

俺の頭の中はガラスが砕ける音とともに真っ暗闇になった。

「アホや…この人アホや…。四杯って…。なにやってんだよ~!!」

俺が朝見た時母親は既に三杯も米を平らげていたのだ…。

俺は人の目も憚らず泣いた。俺の抱いていた輝ける明日の夢は完全に閉ざされた。しかも自分の母親によって…。こんな悲しい事ってあるか…。俺は泣きながら母親を置いて歩いて家に帰り、自室に閉じこもってひたすら泣いた。とにかく泣いた。色んな事を考えた。もしやこの名前のせいでは? 一を志すという事は常に二番って事なのでは? なんて深い事まで考えた。

家に帰って来た母親はあれやこれやと言い訳を展じたが、俺は全く耳を貸さなかった。こんなふうに俺の「魔の一週間」は思わぬ人物によって完結させられた。

翌年の大会に出場しなかったのは言うまでもない…。

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